毎年、子どもたちの自殺のニュースが報じられるたびに、胸が締めつけられるような思いになる。未来にはばたくはずの若者が、どれほどの苦しみの中で命を絶つ決断をしたのか・・・、そのことを考えると、とても悲しい。
厚生労働省と警察庁の発表によると、2024年の小中高生の自殺者数は過去最多の527人(暫定値)に達したという。
そのひとつひとつに、大切な命があったことを忘れてはならない。
子どもたちが抱える悩みは多様化し、人間関係の悩みや、いじめもその一因とされている。
筆者自身、小学校4年生のときに、人生初のいじめを経験した。
今思い返すと、何がきっかけだったのかは分からない。ただ、気づいたときには友人たちが少しずつ距離を置き、無視する子が増えていった。
離れた席からコソコソと話をされ、授業中に回されるメモには、おそらく自分についての悪口が書かれていたのだろう・・・けれど、そのメモが自分の手元に回ってくることはなかった。
自然と孤立し、休み時間は机に突っ伏して過ごす日々。
当時はSNSもなく、いじめは目に見えるカタチで行われるものだった。
今の時代はどうだろう。
見えるいじめだけではなく、ネット上で誹謗中傷、仲間外れ、悪意のある画像加工や動画などの、オトナからは見えない嫌がらせ。
誰にも気づかれずに心を傷つけられる子どもたちが、どれほどいるのだろうか。
「学校に行きたくない」と言えば、親に心配をかける、だから言えなかった。
YouTubeのような新しい学習ツールもなく、「学校に行くことが当たり前」という価値観の中で、ただ耐え続けるしかなかった。
毎日が憂鬱で、次第に暗い性格になり、「クラさん」というニックネームをつけられた。
それでも、あるタイミングでいじめはピタッと止まった。
なぜか? 別のクラスメートが、新たなターゲット(スケープゴート)になったからだ。
いじめていた友人たちは、何事もなかったかのように、また仲良く接してきた。
子どもの頃は、目の前の友達が信頼できるかどうかを深く考えることもなく、いじめた友人が急に仲良くしてきたことへの違和感よりも、嵐が過ぎ去ったことへの安堵感が強かったように思う。
こうして振り返ると、何十年も経った今でも、いじめられた、嫌な思いをした記憶は残っているものだ。
(時間の経過もあり、筆者も、いじめたクラスメイトの名前や、何を言われたかなどの細かな記憶は覚えていない。)
近年、深刻な少子化対策が叫ばれている。
しかし、その一方で、若者が「生きていたい」と思える環境が整っているとは言いがたい。ただでさえ少ない命が、傷つき、追い詰められ、消えていく。
その現実を、社会全体で真剣に受け止めるべきではないだろうか。
筆者の経験を振り返ると、いじめの構造には「スケープゴート(生贄)」という現象が深く関わっていることが分かる。
<スケープゴートとは?>
集団の中で責任や罪を押し付けられ、不当な扱いを受ける人のことを指す。
旧約聖書の「レビ記」では、人々の罪を象徴的に背負わせたヤギ(goat)が荒野に追放されることで、罪が浄化されるとされていた。この儀式が転じて、現代では特定の個人が集団のストレスのはけ口とされる現象を指すようになった。

筆者のいじめの経験でも、突然いじめが終わったのは、新たなスケープゴートが作られたからだった。
これは、問題が個人にあるのではなく、集団の中で誰かがターゲットにされる構造そのものが問題であることを示している。この構造が変わらなければ、ターゲットが変わるだけで、根本的な解決にはならない。
<スケープゴートの問題点(個人への影響の場合)>
若者の自殺を防ぐためには、個人の努力だけではなく、社会全体での取り組みが必要だ。
何より、「生きづらさ」を抱える子どもたちが一人ではないと感じられる社会を目指すことが求められている。
LINEやフリーダイヤルなど、相談窓口が拡大しているにも関わらず、自殺者が増えている現状を変えるには、デジタルとアナログの両面で、子どもたちのコミュニケーションの実態をさらに調査し、分析・対策の必要があると感じる。
子どもたちが未来に希望を持ち、「生きていたい」と思える社会を作りたい。